良い悪いという問題ではなく、世の中には様々なタイプの人がいます。
①周囲のことが気になってブレーキばかり踏みすぎてアクセルが踏めない人
②あまり周囲の事は気にならずアクセルばかり踏んでわが道を行く人
上司として、あるいはひとりの大人として他者に関わる時、
といった形成的なフィードバックが汎用的でリスクも少ないので、迷ったときはこれ。
特に①のタイプには効果的なので多用します。
個人への対応は人が見ていない場でやるので、私がこう述べることを意外だという部下も多い気もします。
一方、②のケースの場合、周囲とフィットせず結果が出せていないけれど自分ではその理由がわかってない(気づいていない)ケースも存在します。
『自身の内的基準が判断基準の(ほぼ)全て』というようなケースの場合、形成的なフィードバックだけでは、ただただ本人の内的基準を強化することになってしまい何も変わらないことも多い。
その場合、他者(上司や同僚など)の内的基準を率直に伝える事も大切だと思う時もあります。
ジョハリの窓で言うところの『他者は知っているけれど自分は知らない窓を開放する』行為です。
ポイントは、あまりオブラートに包みすぎず(慎重に配慮しながらも)率直に耳の痛いフィードバックをすることかなと思います。
組織の一員として必要な、ブレーキの効きを強めに調整するイメージでしょうか。
これには、大いなるお節介ができるメンタルが必要です。笑
それでも困難なケースは、最終的にリスク管理に徹する場合もあります。
それは、育成支援という未来への投資をあきらめ、組織の成果を下げない事に徹すると言い換えることもできます。でもこれは寂しいので、できればやりたくない。結局、数年先を見越して3〜5年越しで育成支援を継続する時も多くあります。
組織の成果と個人の育成とが二律背反の関係となる事もあり、それでも育成の軸を優先する。ここがマネジャーとしての私の甘さでもあると自認している一方で、リハビリテーションの視点で考えると譲れないこだわりでもあります。
一方で、周囲とフィットせずわが道を行くことで人とは異なる結果を出している人はそのままで良いとも思うんですよね。
というフィードバックがその人の個性を殺し、良さを消してしまうリスクもある。
多くの他者に理解されないことが悪いことでは決してない。むしろそれが武器になることもあります。
偉大な経営者の多くは変な人(変わった人)ですよね。
そして、徹頭徹尾最も大切な事は「自分の人生は自分の価値観に従い自分で決める」こと。
この辺りが人間理解の難しさだなぁと思いながら、日々育成支援に当たっています。
最近話題のツイートを見ながら、ふとそんなことを考えていました。
過度な一般化など、表現の仕方に一定の責任は伴うとは思っています。
(終わり)
mba-management
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